共同体と日本

 

1986年~現在

◆1986年~現在

1986年にヨハネ・パウロ2世の呼びかけでアッシジで実現した『世界宗教者平和の祈り』の集会を継承して聖エジディオ共同体がその後毎年、世界の各地で主催するようになった『世界宗教者平和の祈り集会』で、多くの日本の宗教者(仏教、神道、近代の宗教)と出会いました。頻繁な触れ合いを通して、心からの敬意に基づく個人的な友情が培われています。
同時に、日本の多くの伝統的なそして現代的な側面との出会いも深まっていきました。

イタリア語 http://www.santegidio.org/pageID/47/langID/it/Incontri_Internazionali_di_Preghiera_per_la_Pace.html

英語 http://www.santegidio.org/pageID/47/langID/en/International_Meetings_of_Prayer_for_Peace.html

 

 

◆1998年

ブカレスト(ルーマニア)で行なわれた『世界宗教者平和の祈り』集会で、共同体はシスター・ヘレン・プレジャン(デッドマン・ウォーキング)と古川泰龍師(生命山シュバイツァー寺)による死刑問題に関する講演会を企画しました。そこで福岡事件で死刑執行された冤罪被害者西武雄さんと古川師との間に結ばれた驚嘆すべき友情の歴史を知りました。


『呼声』 : 人間の心の中に響きわたる阿弥陀の声

(1994年、古川泰龍「イタリア書展」から) http://www.santegidio.org/pdm/news2004/japan_furo.htm

 

◆1999年5月7日

聖エジディオ共同体の創立者アンドレア・リッカルディが「1999年庭野賞」を受賞。

受賞後、リッカルディは次のように語りました。「死刑は、世界中が望んでいる人権尊重の歩みに相反するもので、その全面的執行中止と問題の再考は、世界の精神的・社会的進歩に寄与するでしょう」

 

◆2001年6月18日 ローマ

聖エジディオ共同体とアムネスティ・インターナショナル共催で、死刑廃止を求める日伊代表団の集会がありました。

34年間死刑囚として拘置され、無実であることが判明して釈放された免田栄さんも参加しました。

http://www.santegidio.org/pdm/news/18_06_01.htm

 

◆2003年5月23日 東京

セミナー『共に生命を考える Together for Life 』を主催
協力:アムネスティ・インターナショナル・日本
於:主婦会館プラザエフ (四谷)
http://homepage2.nifty.com/shihai/report/egidio/report.html

この時、『死刑を止めよう宗教者ネットワーク』が発足。

 

◆2006年

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出版:『対話が世界を変える』

聖エジディオ共同体(春風社)

アンドレア・リッカルディ 著
千田和枝 訳

 

 

証/千田和枝

 私がはじめて聖エジディオ共同体と出会ったのは、かれこれ15年ほど前になります。日本の宗教者グループの通訳として「世界平和の祈り」集会に参加したときのことです。集会が終了したのち、私たちはローマにおもむき、聖エジディオ共同体の本部を表敬訪問しました。そこで、お茶とケーキのおもてなしを受けながら、共同体の活動の概略を説明していただき、共同体のメンバーが身よりのない老人のお世話や、同じく身よりのない病人のお世話、エイズに苦しむ人々のお世話をしていることを知りました。

 そのとき、日本人から質問が出ました。そのような活動のための予算はいくら位なのか、また、病人のお世話はどこまでするのか、との質問です。組織的に動く日本人としては当然の質問だったと云えます。ところが、その質問に返ってきた答えに、私は圧倒されました。「予算など決まっていません。お金がなければ、あるところにもらいに出かけます。それに、病人をお世話するのに期限などありません。命を全うするまでお世話します」という答えでした。
 

 その答えを通訳していたら、あろうことか、涙が流れてきました。泣きながら通訳するなど、通訳としてあるまじきことです。しかし涙は止まりませんでした。今、その理由を考えてみるに、彼らの簡潔な答えの中に、聖エジディオ共同体人々の決然とした「覚悟」を感じたためだと思います。自分たちの信仰にしたがって、あくまで社会的に弱い人々の側に立つという「覚悟」です。そして、その「覚悟」が、実際的な活動、草の根的な活動を支えているのだと理解しました。
 

 その草の根的活動が、結局世界の人々をつなぐ力となり、世界平和の道を準備したのだと思います。自分の身近にいる身よりのない隣人をお世話するということは、人間同胞にたいする深い愛情と尊敬がなければ出来ることではありません。その尊敬と愛情が世界の人々をつなぐのだと思いました。
 

 私はクリスチャンではありません。とくに信仰する宗教をもつことなく生きている人間ですが、このような聖エジディオ共同体の人々と出会い、彼らから活力をいただき、友情をいただき、そして多少のお手伝いをするチャンスを与えられました。偶然が生んだ出会いでしたが、これから先も、この出会いを大切にし、自分の生活の場と視野を広げたいと思っております。

 

日本の読者のみなさんへ

 

対話は世界を救う

 

アゴスティーノ・ジョヴァニョーリ Agostino Giovagnoli

 日本を訪れたアンドレア・リッカルディは、現代そして未来における日本の役割とは何であるか、何度も自らに問いかけ、また出会った相手にも問いかけてきた。日本の役割は特殊なものにちがいない。大戦による惨状、広島と長崎での原爆投下による悲劇。しかしそこから這い上がり、立ち上がり、品格ある歩みを続けた国。この60年間、軍隊をもたず、いかなる紛争も武力では解決しないという憲法(第9条)によって定められた平和主義を貫いてきた日本の姿は、アジア諸国間の、そして全世界の平和と調和のために貴重だとアンドレア・リッカルディは何度も強調している。「日出ずる国、ソル・レヴァンテ」は大きな心で、発展途上国の貧しい人々に支援を行なってきた。この活動も平和を広めるために欠かせない手段だと、アンドレア・リッカルディは思っている。世界の未来のために、多くのことが日本から発信されるだろう。 

 

 本書では、アンドレアの長く、情熱的な歩みが語られている。60年代、高校生だった彼は、その頃から困難な境遇にある人々に心を向けていた。当時のローマは経済成長のただ中にあったが、郊外にはたくさんの貧しい人々が暮らしていた。そこでは孤独が常に傍らにあった。しかし、「孤独」はよいことではない、人は孤独に生きるようにはできていないのだ。これがリッカルディの直感だった。それからこの「孤独」について自分に、そして周りの者たちに問いかけはじめた。それは人生の意義についての真摯な、深い問いかけだった……。こうして聖エジディオ共同体が生れた。ローマの、イタリアの、世界中の人間の孤独に答えようとして……。アンドレア・リッカルディの世界中の人々との出会いはそこから始まった。 今では平和のための外交と、異なる宗教や文化の間の対話を長期にわたって実践してきたことで、世界中で知られるようになった聖エジディオ共同体だが、一瞬たりとも己れの「起源」から遠ざかったことはない。本書では、アンドレア・リッカルディがあらゆる文化の、あらゆる宗教の、あらゆる社会環境や階級の人々との出会いを推し進める動機となった、自分と異なる人々への配慮とは何かが記されている。 

 

 この40年間で世界は大きく変わった。今日では、すべてがより困難になったようだ。貧富の差は刻々と広がっていく。困難な状況をまえに呆然となり、身を守るために、そして時には攻撃するために、自分を閉ざしてしまう誘惑は強い。しかしアンドレア・リッカルディの歩みを見ると、どんどん狭くなる世界――相互に繋がり、依存しあってはいても、よりむずかしく、紛争的になりやすい世界――の中で、他者への配慮が、道を失わないための羅針盤のような道しるべとなっている。 

 

 聖エジディオ共同体と呼ばれるこの体験は、あらゆるひとが歩むことができる。それはその「歩んだ道」を見れば理解できる。力をあわせて成し遂げたことが世間の目には偉業と映るかもしれないが、メンバーはみな普通の男女であり、他者へ心を砕くことのみが、大きな効果を生み出し、状況を変え、戦争を止めることもできるのだ。アンドレア・リッカルディの内で、この「心を砕くこと」はすべての人、とくに傷つき、踏みにじられた人たちの人間性を護り、大切に世話する行動へと深まっていった。最初からずっと彼は、最も貧しい人、疎外された人、さまざまな理由で拒否された人たちに心を奪われていた。そのような人々をないがしろにし、忘却しようとするのは現代社会の最大の過ちなのだ。今日、まったく見捨てられたようなアフリカ地域で起きていることがそれに匹敵する。もし、よりよい未来というものがあるとしたら、それがすべての人にとってでなかったら、誰にもそれは訪れないだろう、とリッカルディは言う。アフリカを含む未来か、さもなければ世界のどこにも救いはないのだ。

 

 しかし、アンドレアの心、想いのなかに、アジアは特別な場所を占めている。中国に、インドに、その他多くの地に赴き、それらの地の昔からの宗教・文化に思いを馳せるとともに、めざましい近代性にも出会った。近年ではインドネシア、パキスタン、インドなどにも共同体が生れ、いまでは、アフリカ、南米、アジアの各地で共同体はたくさんのことばを話し、多くの文化によって表現されている。 

 

 したがって本書の日本語訳は、随分まえに始まった日本文化との対話をさらに深めていくために、友情をこめて差し出された手なのだ。人生の多くの問題についての問いかけであり、同時に、読者からの返事を期待して待つものである。

 

 

◆2008年 聖エジディオ共同体創立40周年
を記念して、イタリア文化会館に大勢の日本の友人たち、宗教者たちが集いました。白柳枢機卿は開会のスピーチで「聖エジディオ共同体がわたしの人生を変えた」と語りました。

◆2009年1月18日
広島の三末司教がローマの共同体代表を招き、世界平和記念聖堂で講演会『暴力のない世界をめざして』が実施されました。参加者のみなさんには『対話が世界を変える』(アンドレア・リッカルディ著、千田和枝訳)が贈呈されました。
講演会に続き、聖エジディオ共同体創立40周年祝賀会が行なわれました。

 

◆No Justice Without Life いのちなきところ正義なし

2012年 第1回シンポジウム No Justice Without Life いのちなきところ正義なし 開催


2013年 第2回シンポジウム No Justice Without Life いのちなきところ正義なし 開催


2014年 第3回シンポジウムNo Justice Without Life いのちなきところ正義なし 開催予定

 

◆2013年 

 『聖エジディオ共同体・日本』発足

http://blog.goo.ne.jp/c-santegidio-japan-n2013/m/201310

わたしたちはカトリック信徒団体の国際NGOでローマに本部をもちます。 仏教や神道、ヒンドゥー教、ユダヤ教、イスラム教などとの宗教間対話を進め、平和のためのさまざまな活動を行っています。

 

世界各地の共同体について
1993年、共同体創立25周年にあたって、ヨハネ・パウロ2世は「(あなた方は)愛する以外にはいかなる制約をも必要としない」と述べました。同様に、各地で新しく生れる共同体には、「愛」のほかにはいかなる制約や限界ももうけられず、兄弟的一致の交わりを深める奉仕活動を展開します。

 

◆2013年 宗教間対話の推進を目的とする『かけ橋』に入会

http://www.pimejapan.com/kakehashi/about.shtml

 

 

◆2014年3月30日の「袴田巌さんを救う会」静岡集会へのメッセージ

(無実の死刑囚袴田巌さんの再審開始を祝って)

わたくしども聖エジディオ共同体は、袴田巌さんが48年間の死刑囚としての投獄生活の後、先日3月27日に釈放されたことをお喜び申し上げます。巌さん、そして姉の秀子さんへの友情をお示しし、お二人のお心に同伴いたしたいと思います。聖エジディオ共同体は秀子さんとは数回にわたり人権問題について、そしてとくに巌さんの冤罪問題について、講演会や集会をもってまいりました。この長い期間、世界中の大勢の人々の心を痛めた袴田事件問題に関わり、ヨーロッパや日本で、正義とは何か、死刑という極刑の不条理さについてなど、深い省察の機会を企画してまいりました。長い年月を経た後の今回の袴田巌さんの釈放は、立ち止まって熟考する機会をわたしたちに与えてくれます。日本と世界のすべての国における死刑のモラトリアムの実施を通して、今まで以上に責任をもって、人間としていかに生きるべきか、考えさせてくれる機会となります。国家には人命を剥奪する権利はなく、とくに、袴田さんの場合のように、数十年もまえから無実とされてきた方の生命を奪うことはゆるされません。

巌さんの健康を祈り、これからも温かい友情で彼を支え続けていきたいと思っております。また同時に、再審裁判によって彼の無実が完全に証明されることを待ち望んでいます。さらに、静岡地裁の村山浩昭裁判長への尊敬の意を表明いたします。司法に携わる多くの方々と法政治の責任者の方々が、その模範に続かれることを期待いたします。

人権が認められるため、また日本において司法制度のより人間的な運営がなされるよう、わたくしども聖エジディオ共同体はきょう、この場において、みなさんの民主主義的な力に支えられた努力を強める決意を表明いたします。


聖エジディオ共同体
アルベルト・クアトゥルッチ

Noi della Comunità di Sant'Egidio accoglie con gioia la notizia della liberazione del sig. Iwao Hakamada avvenuto il 27 marzo, dopo 48 anni di prigionia nel braccio della morte. Esprimiamo tutta la nostra vicinanza e amicizia sia verso di lui sia verso la sorella signora Hideko, con la quale la Comunità di Sant'Egidio ha organizzato più di una volta incontri e conferenza sui diritti umani, anche più specificatamente sull'ingiusto caso di condanna di suo fratello Iwao. La Comunità di Sant'Egidio infatti da molti anni segue sia in Europa sia in Giappone stesso questo caso che ha toccato il cuore di milioni di persone di tutto il mondo, promuovendo una profonda riflessione sul senso della giustizia e sull'assurdità della condanna a morte. Questa liberazione, dopo tanti anni, costituisce motivo di una riflessione ed impegno ad una maggiore responsabilità, grande lavoro umano e sociale per la moratoria della pena di morte in Giappone, e in ogni Paese del mondo. Nessuno Stato ha il diritto di togliere la vita a nessuno, tanto più a chi è innocente, com'è il caso riconosciuto da decennni del sig. Hakamada.
Mentre auguriamo a lui la salute e lo sosteniamo con l'amicizia, auspichiamo che la riapertura del processo sul suo caso porti a pieno riconoscimento della sua innocenza. Esprimiamo inoltre il nostro apprezzamento nei confronti del giudice (della Corte distrettuale di Shizuoka) Hiroaki Murayama, e ci auguriamo che il suo esempio possa essere seguito da molti rappresentanti della magistratura e delle autorità della giustizia governativa.
Noi della Comunità di Sant'Egidio rinnoviamo oggi e rafforziamo il ns. impegno democratico per il riconoscimento dei diritti umani e per un livello più alto e più umano dell'amministrazione della giustizia in Giappone.


Prof. Alberto Quattrucci
Comunità di Sant'Egidio

 

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